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東京高等裁判所 平成元年(ネ)1843号 判決

控訴人 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 飯野紀夫

被控訴人 乙山春子

〈ほか二名〉

右被控訴人ら訴訟代理人弁護士 武藤節義

荻原富保

主文

一  原判決を取り消す。

二  控訴人と被控訴人乙山春子との間において、昭和六〇年二月二六日東京都豊島区長に対する届出によってなされた丁原松子(本籍東京都豊島区《番地省略》と被控訴人乙山春子との養子縁組は無効であることを確認する。

三  控訴人と被控訴人乙山一郎との間において、昭和六〇年七月六日東京都豊島区長に対する届出によってなされた右丁原松子と被控訴人乙山一郎との養子縁組は無効であることを確認する。

四  控訴人と被控訴人乙山竹子との間において、昭和六〇年七月二三日東京都豊島区長に対する届出によってなされた右丁原松子と被控訴人乙山竹子との養子縁組は無効であることを確認する。

五  訴訟費用は、第一、二審を通じて被控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人ら

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者の主張及び証拠関係

当事者の主張は、次に加えるほか、原判決事実摘示のとおりであり(ただし、「本件第一縁組」とは主文第二項掲記の養子縁組を、「本件第二縁組」とは主文第三項掲記の養子縁組を、「本件第三縁組」とは主文第四項掲記の養子縁組をいう。)、証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴人

本件第一ないし第三縁組(以下併せて「本件縁組」という。)は、次の理由からも無効である。

1  本件縁組は、控訴人と被控訴人春子との間に争いが存在した状況下において、丁原松子(以下「松子」という。)と被控訴人らとの間で法律上の親子関係を形成しなければならない特段の必要性がないにもかかわらず、松子の遺産に対する控訴人の相続分をすべて失わせ、右遺産を被控訴人らにおいて独占する目的で行われたものであり、養子縁組の本質に反する。

2  本件縁組の届出においては、被控訴人らが互いに証人になり、しかも、被控訴人一郎及び被控訴人竹子は、松子とほとんど面識がなく、縁組届に松子が署名するときにも立ち会わず、松子の縁組意思を確認することができなかった。本件縁組届は、証人としての役割を全く果たしていない者が証人になっている点において、実質的に証人を欠いた無効な届出というべきである。

3  被控訴人らが、本件縁組を事前にも事後にも控訴人を含む関係者に公表していないことは、本件縁組が右のような不当な目的を有することを裏付けるものであり、松子及び被控訴人らに縁組意思がないことを被控訴人ら自身が熟知していたものである。

二  被控訴人ら

控訴人の右主張は争う。

理由

一  《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  当事者の身分関係

松子(明治三二年二月二七日生まれ)は、夫太郎との間に子供がなく、昭和五一年四月一一日、太郎と死別した後は、東京都豊島区《番地省略》所在の自宅建物(以下「本件建物」という。)で、家政婦の手伝いを受けながら一人暮らしをしていた。

松子の兄丙川夏夫の長女が被控訴人春子(大正一三年一一月二五日生まれ)、長男が丙川秋夫(昭和二年一月三日生まれ。以下「秋夫」という。)、二女が控訴人(昭和四年七月一一日生まれ)であり、ともに叔母松子の相続人となる立場にあった。三名とも湘南地方に住んでおり、東京にある松子方には時折出入りしていた。

被控訴人春子は、夫冬夫との間に二人の子供があり、被控訴人一郎(昭和二六年一二月一五日生まれ)は二男である。

控訴人は、夫春夫との間に三人の子供がある。

被控訴人一郎と被控訴人竹子(昭和二七年一月一日生まれ)は、昭和五四年二月二〇日結婚した夫婦である。

2  事実の経過

(一)  太郎の死後一人暮らしをしていた松子は、昭和五四、五年ころ、銀行に預けていた割引債の返還を受けたのに、返してもらっていないと言って問題をおこしたり、だらしのない格好で外を出歩いたり、失禁したりすることが目につくようになった。見かねた近所の人や家政婦らが秋夫らに対して、松子を一人で生活させるのは危ないから、だれかが同居すべきであると申し入れた。松子も、夜分、秋夫らに電話をかけて、一人でいるのは恐ろしいと訴えることがあった。

そこで、秋夫と被控訴人春子及び控訴人が相談した結果、控訴人一家が松子と同居して面倒をみることになり、昭和五五年八月、控訴人の家族が当時住んでいた茅ケ崎から本件建物に引越して、二階で生活し、松子が一階で生活するようになった。松子の食事や洗濯等の世話は控訴人がした。右同居に当たり、控訴人が賃料として月三万円を松子に支払う話があったが、松子は、控訴人に面倒をみてもらうからいらないということで断ったので、本件建物の水道、電気、ガスの料金だけを控訴人の方で負担していた。

松子は、その後老人性痴呆の症状が進み、夫の太郎が死亡したことを忘れたり、夜中に飛び出したりするほか、残した食事を片付けると食べ物をとられたとか、物が見つからなくなると控訴人の家族が盗んだとか、隣のマンションが松子の土地を侵害したとか言い出して、被害妄想が激しくなり、交番の世話になることも度々であった。また、同居して一、二年すると、控訴人が思ったほど自分の面倒をみてくれないとして、気にくわない、嫌になったなどと口外することもあった。これに対して、控訴人は、分別がなくなった老人の勝手な言い分であると受けとめ、さして気にもせず前と同じように世話をしていた。

(二)  松子には相当の財産があり、昭和五六年四月当時は、不動産として、本件建物とその敷地(一六五・二八平方メートル)及び東京都豊島区《番地省略》所在の貸地(二四三・〇九平方メートル)のほか、銀行の貸金庫に割引債合計一億二〇〇〇万円、投資信託合計四四一二万円、利息付き債券約一五〇〇万円、定期預金約一五〇〇万円の合計約二億円の預金・債券類が保管されていた。

松子は、財産関係に関しては秋夫を頼りにし、右証書の書替えや貯金の払戻し等の際には、以前から、秋夫を呼び出して同行してもらっていたが、秋夫には仕事の都合もあり、その都度藤沢から出てくるのが大変であったため、途中から、被控訴人春子が秋夫に代って松子の財産関係に関与する機会をもつようになった。控訴人は、松子と一緒に生活しているので、無用の疑いをかけられないように、松子の財産関係に立ち入るのを避けていた。

(三)  松子のもとには、太郎の姪である戊田梅子(以下「戊田」という。)も出入りしていた。戊田は、控訴人が松子と同居生活を始めたことを快く思っていない様子であり、控訴人に対する不満を口外する松子に肩入れをした行動が見られた。そのうち、昭和五七年九月ころに、松子から控訴人の夫春夫を相手方として、豊島簡易裁判所に対し、本件建物の明渡を求める調停が申し立てられ、右調停では、戊田が松子に付き添っていた。しかし、調停期日には、松子と控訴人と戊田が一緒に裁判所に行き、松子が調停委員に話を聞いてもらい、終わると、松子と控訴人とが一緒に帰ってくるといった状態で、控訴人としては、調停の場で松子の愚痴を聞かされているという程度の認識でいた。日常生活では、松子が控訴人の世話になることを拒否することはなかったし、控訴人も従前どおり松子の世話をしていた。

(四)  右調停が不調になると、松子は、昭和五八年一月三一日、弁護士に依頼して、控訴人の夫春夫を被告として、東京地方裁判所に対し、本件建物の明渡を求める訴えを提起した(右訴訟提起につき、松子は、同年六月一日、本人尋問を受けた際、控訴人が思ったほど世話をしてくれないので、出ていって欲しいと思っている、裁判を起こしたことは知らない、訴訟委任状も記憶がないが、署名は自分のものであるなどと述べる一方で、弁護士にお願いして訴訟委任状に署名したとも述べている。)。

右訴訟の法廷等には、当初、戊田が松子に付き添ってきたが、昭和五九年ころになると、被控訴人春子が付き添うようになった。そして、そのころから、藤沢に居住する被控訴人春子が二日に一回位の割合で足繁く松子方にきて、松子の世話をするようになった。また、被控訴人春子は、それまで控訴人が負担していた本件建物の水道、電気、ガスの料金を松子が負担するようにした。

しかし、この時点でも、被控訴人春子と控訴人との間に表立った対立は生じなかった。松子も、裁判の場以外で、控訴人に対して直接本件建物の明渡を求めることはなかったし、被控訴人春子がこないときは、控訴人の世話を受けて、控訴人の言うことをきき、かえって被控訴人春子に対する愚痴を控訴人にこぼすこともあったが、被控訴人春子がきて世話をすると、被控訴人春子の言うことをきくという状態であった。なお、被控訴人一郎及び被控訴人竹子が松子方を訪れたことはなく、同被控訴人らと松子との間には接触がほとんどなかった。

(五)  この間、昭和六〇年二月二六日に本件第一縁組の届出が、同年七月六日に本件第二縁組の届出が、同月二三日に本件第三縁組の届出がそれぞれ行われた。しかし、このことは控訴人及び秋夫に対しては内密にされ、被控訴人春子又は松子からは本件縁組をした話は何もされなかった。

同年一〇月三〇日、前記明渡訴訟の和解の席上で、相当裁判官から、本件建物を含む松子の財産を松子の死亡後に被控訴人春子、控訴人及び秋夫の三名で均等に分割取得するとの和解案が示されたが、和解に出頭していた被控訴人春子は、その席でも本件縁組が成立していることを一切明らかにせず、右明渡訴訟の松子の訴訟代理人であった弁護士にも、そのことを秘していた。

また、被控訴人春子は、本件縁組の届出の前後ころ、何回かにわたり、松子から財産処分に関する遺言状を作成してもらった。

(六)  昭和六二年三月四日、松子は、歩行困難と食欲不振で、豊島区《番地省略》にある甲山病院に入院したが、年齢や住所等を答えることができず、簡単な計算も間違えるなどして、痴呆性と診断された。

同月下旬、控訴人は、東京家庭裁判所に対し、松子の禁治産宣告を申し立て、戸籍謄本を取り寄せたところ、初めて本件縁組の届出がされていることがわかった。控訴人と秋夫は、被控訴人春子に対し本件縁組について説明を求めたが、説明はされなかった。

(七)  本訴提起後である昭和六二年四月一八日、被控訴人春子は、松子を退院させて、藤沢の自宅近くのマンションに住まわせ、面倒をみるようになった。昭和六三年三月九日、本件訴訟の原審裁判所が右マンションで松子を尋問しようとしたが、宣誓能力及び尋問を理解する能力がないと認められ、尋問を中止した。同年一一月二九日、松子は死亡した。

3  本件縁組の届出及び戸籍の記載等

(一)  本件第一縁組について

本件第一縁組は、昭和六〇年二月二六日に届け出られたところ、被控訴人春子は、右届出に先立ち、同年二月二一日、夫冬夫との協議離婚の届出をし、本件第一縁組により丁原姓になった後の同年三月六日、再び冬夫との婚姻を届け出て、冬夫を戸籍筆頭者とする乙山姓の戸籍に入籍している。

本件第一縁組の届出の証人には、被控訴人一郎と被控訴人竹子とがなっている。

右縁組届の届出人欄の松子の氏名の記載は、《証拠省略》中の松子の各署名と対照すれば、松子の自署であると認められる。また、右縁組届の養親になる人の氏名・生年月日欄、住所欄及び本籍欄の松子の氏名、生年月日及び住所の記載が松子の自署か否かについては、確証がないが、松子の筆跡に類似している。

(二)  本件第二縁組について

本件第二縁組は、昭和六〇年七月六日に届け出られたところ、被控訴人一郎は、右届出に先立ち、同年六月二五日、被控訴人竹子との協議離婚を届け出たうえ、民法七六七条二項の規定によって被控訴人竹子が乙山姓を称し、本件第二縁組により被控訴人一郎が丁原姓になった後の同年七月一五日、乙山姓を称する被控訴人竹子との婚姻を届け出て乙山姓に復し、更に、同月一七日、再度、被控訴人竹子との協議離婚の届出をしたうえ、被控訴人竹子が本件第三縁組により丁原姓になった後の同月三一日、被控訴人竹子との婚姻を届け出て、被控訴人一郎を戸籍筆頭者とする乙山姓の戸籍を作成している。

本件第二縁組の届出の証人には、被控訴人春子と被控訴人竹子がなっている。

右縁組届の届出人欄並びに養親になる人の氏名・生年月日欄、住所欄及び本籍欄の松子の氏名、生年月日及び住所の記載については、前記(一)と同様である。

(三)  本件第三縁組について

本件第三縁組は、昭和六〇年七月二三日に届け出られたところ、被控訴人竹子は、右届出の前後に前記(二)のような被控訴人一郎との離婚・婚姻の届出を繰り返し、被控訴人一郎を戸籍筆頭者とする乙山姓の戸籍に入籍している。

本件第三縁組の届出の証人には、被控訴人春子と被控訴人一郎がなっている。

右縁組届の届出人欄の松子の氏名の記載は、前記(一)と同様、松子の自署と認められるが、養親になる人の氏名・生年月日欄、住所欄及び本籍欄の松子の氏名、生年月日及び住所の記載は、いずれも松子の自署ではない。

以上1ないし3のとおり認めることができ(る。)《証拠判断省略》また、《証拠省略》によると、昭和六二年五月に松子を診察した医師が、松子は記憶力が多少低下しているものの、判断力、理解力は正常である旨の診断書を作成していることが認められるが、右診断書の記載から明らかなように、下腿浮腫で松子を往診した際の所見にすぎず、これをもって松子の精神状態を認定する資料とすることはできない。他に以上の認定を左右するに足りる証拠はない。

二  前項認定の事実を前提に、本件縁組が松子の真意に基づくものであるか否かについて判断する。

1  この点に関する被控訴人春子の原審における供述は、おおむね次のとおりである。

すなわち、「昭和三六年、被控訴人一郎が小学生のころ、松子から被控訴人一郎を養子にもらいたいと言われたことがある。昭和五九年秋、同様の話があったが、被控訴人一郎は、国家試験を受験する関係で姓が変わるのは当分困るということで断ったところ、それでは被控訴人春子が先に養子として入ってほしい、被控訴人春子の夫冬夫は養子にならなくてよい、と言われ、更に、養子縁組をしても姓を丁原には変えず乙山のままにすることも松子が承知した。そこで、昭和六〇年二月初めころ、被控訴人ら三名の氏名等を記入した三通の養子縁組届の用紙を持って、松子と二人だけで池袋の西武デパート八階にあるファミリーレストランに行き、三通の用紙に同時に松子の署名をしてもらった。本件建物で縁組届を作成しなかったのは、控訴人に立ち聞きされる心配があったからである。また、松子の面倒をみていくには夫婦一緒の方がよいと考えて、被控訴人竹子も養子にすることにした。本件縁組をしたことは他人に知られたくなかったので、誰にも言わなかった。」というのである。

2  確かに、昭和五九年から同六〇年当時における前記明渡訴訟の係属、松子の控訴人に対する不満及び被控訴人春子による松子の世話等の事実からみれば、松子が控訴人に代えて被控訴人春子に余生を託そうとしたことも、一応考えられないではない。しかし、前記認定の松子の精神状態に徴すると、松子がどの程度事態を弁識して調停や訴訟の当事者になっていたかには疑問の余地があり、右の事実によって松子の縁組意思までを推認することはできない。

のみならず、前記認定の事実に照らせば、本件においては、次のような諸事情を指摘することができる。

(一)  松子が余生を託する者と養子縁組をしたのであれば、先の相談に基づいて松子と同居して面倒をみることになった控訴人との養子縁組問題が、それまでにおきていてもよいはずである。また、余生を託するにしても、被控訴人春子及びその息子夫婦の三名と相次いで縁組するのが普通とは考えられず、これを納得できる事情は見当たらない。本件縁組の前後を通じて、松子の生活状況に変化のなかったことは、すでに認定したとおりであり、特に法律上の親子関係を設定する必要が生じたとは認められず、また、被控訴人春子はともかく、被控訴人一郎及び被控訴人竹子と松子との間に親子関係を結ぶにふさわしい接触等があったともいえない。

(二)  松子は従前から秋夫を頼りにし、控訴人が同居して面倒をみることになったのも秋夫らの相談の結果であるから、もし本件縁組を松子が望んだのであれば、松子あるいは被控訴人春子から秋夫らに相談又は報告があるのが自然である。しかるに、被控訴人らは、本件縁組の前後を通じて、親族にも裁判所にも弁護士にも、縁組の事実を全く秘匿していたものであり、この点について合理的な説明はされていない。松子自身から、本件縁組をしたことが述べられたこともない。

(三)  本件縁組届に松子が署名した経過について被控訴人春子の述べるところも首肯しがたい。控訴人の立ち聞きを警戒したとの理由だけで、八六歳の老人にデパートの食堂で縁組届に署名させることは異常であるし、また、その場で松子が同時に署名をしたという三通の縁組届のうち、本件第三縁組の届書の養親になる人の氏名・生年月日欄、住所欄及び本籍欄の松子の氏名、生年月日及び住所の記載だけは他の縁組届と筆跡を異にしているのである。

(四)  本件縁組の届出の証人は、被控訴人ら三名がそれぞれ互いに他の縁組の証人になっている。しかも、身分上の重大事であるのに、被控訴人春子の夫冬夫や被控訴人一郎及び被控訴人竹子が、本件縁組に関して松子と直接会って話合いをした形跡は認められない。

(五)  更に、被控訴人らは、本件縁組に当たり、離婚・婚姻を繰り返して、松子の戸籍に入らないように、姓を変えないようにそれぞれ工作している。これは、養親縁組の事実を隠蔽するための工作と見られてもやむを得ないところである(被控訴人一郎の国家試験云々の点は裏付資料もない。)。

(六)  松子は、本件縁組届出の当時八六歳の高齢であり、前記認定の行動から見て、弁識力・判断力等にかなりの衰えがあったと認められ、その場の状況次第では、真意の如何とは別に、たやすく身近な人の言いなりになるような精神状態にあったと推認できる。

(七)  本件縁組により、松子の推定相続人であった控訴人及び秋夫は相続人の資格を失い、二億円をはるかに超える松子の遺産は被控訴人らが独占する結果になった。また、被控訴人春子が、本件縁組のほかに、松子から財産処分に関する遺言状を作成してもらった目的等は明らかにされていない。

3  右指摘の諸事情を総合して考えると、本件縁組の運びは甚だ異常であって、その届出がされた当時、松子に縁組意思ないしその届出意思があったかは極めて疑わしいというほかない。縁組届の届出人欄等に松子の自署による氏名の記載があることから、松子の縁組意思ないし届出意思を認めることは相当でない。かえって、右の異常性にもかかわらず、松子の縁組意思ないし届出意思に対する疑いを否定するに足りる客観的事情の存在が明らかにされない限り、松子が正常な判断能力のもとに被控訴人らと養親子関係に入ることを理解し、真意に基づいてその届出を行ったものではないと推認すべきである。そして、本件の全証拠を検討しても、右の疑いを否定するに足りる客観的事実を認めることはできない。

してみると、本件縁組は、当事者間に縁組をする意思がないものとして、無効といわなければならない。

三  以上の次第で、本件縁組の無効確認を求める控訴人の請求はすべて理由があり、これを認容すべきである。

よって、右と判断を異にする原判決を取り消して、控訴人の請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤繁 裁判官 岩井俊 小林正明)

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